弱くても、負け続けても

 前回、幼少のころよく喧嘩したと書いた。誤解が有るといけないので少し補足する。
確かに喧嘩はしたようである(愛する母親の言うことに間違いは無い)
幼稚園では、保母さんに噛み付き腕に歯形を付け、小学校では五寸釘(約15cm)で先生を刺したとか、其のたびに母が謝りに行ったそうです。
 ここまで読めば相当の悪ガキと思うだろう。
前にも述べたように病気がちで学校を休んだり、早引けはしょっちゅう。
イライラした生活だったのでしょう。すぐ「かっ」となり、今で言う「切れる」だ。
 運動は苦手(今でも金槌)、音楽は超音痴(学芸会のとき本番では声を出すなと先生に言われた)。しかもメガネを掛けていたのであだ名は多かった。
体格はクラスの中で小さい方から3番目、(当時は一クラスに55名もいた)
 敏捷とは程遠い子供であるので喧嘩は100戦100敗のありさま、必ず負けるのだ。
それでも切れると我慢できなく、やってしまう。
 中学入学以降から人と争うことは皆無に近い。(病気もしなくなった)
負けて学んだのだろう、強い相手との付き合い方を。
いやなあだ名(四つ目、ゴミ箱等など)にも鍛えられたと思う。
あれだけ争いをしていたのに大怪我は一度もない。今から思うと先生は勿論、
級友も弱虫相手で手加減していたのだろう。
 それらが社会に出てから知らず知らずの内に役立ったのだろう。
色んな意味で鍛えられ、弱者を思いやる事などを無意識の内に学んだのだろう。
 
特に30年間務めた営業職で、そこそこやってこれたのも、
弱さが人を見る力を育てていたのかも知れない。
 
 くどくど書いたが、大人の私は真面目人間なのだ。
「弱くても、負けても学ぶ事は確実にある」と言いたいのだ。
迷惑を掛けた親や先生、友人、関係した社会の人々に感謝、感謝である。