平均年齢75才、男3人、天王寺駅から住吉大社に向かう。
駅から近い南霊園は千日前にあった刑場・墓地‣火葬場が明治にここに移され、
この界隈も開発が進み、火葬場は瓜破に移されたのだと観光ボランティアを
やっている一人が説明してくれる。
都心にこんな広い墓地、墓も一つ一つが大きい、感心しながら墓地北側の断層の際を南下する、上町台地の上だ。歩いているのは下に建つ家の3階の床と同じ高さである。
阿倍野晴明神社、南北朝時代の南朝方の武将北畠顕家の墓、手塚山の豪華邸宅、
熊野街道に隣接する谷をせき止め、灌漑用に造られた万代池には多くの種類の鳥や犬を連れた集いが平和を感じさせる。
小さな塚であるが松虫塚の説明書きには「松虫の音を聞きながら行倒れとなった旅人を葬った」とある。(松虫は鈴虫の事)
虫の音を聞きながら逝く人も、又それを葬る人情も現代では失われた風情だと感じる。
昼食後に住吉大社に到着、反り橋(太鼓橋)の上で生まれたばかりの赤子を両手で天高く持ち上げて記念写真を撮っている。良く見ると赤ちゃんを抱いた姿があちこちに見られる。
四つある本宮は全て国宝、奥では結婚式が行われていた。外人も混じり祝福の眼差し。
今日は良い日だと手帳を調べると大安だ。神社は大安に来るべきだ、喜びを分けてもらえた気分。
下の写真は日本最古の灯台と言われる住吉高燈籠、らせん階段は一段30センチ弱で46段、一気に上り切りました。訪れるたび閉館で今回4回目にして入観、間違いなく良い日だったのだ。
