難波より心斎橋筋を北上、長堀通りを過ぎ本町辺りまで来ると、観光客は少なくなる。
街の風情を楽しみながら行くと、右手に古いビル(写真上)があり見上げていると
「何かお探しですか」と声がかかる。「この辺りは戦災で全滅したのに珍しいですね…」と応えると、「もう少し行くと適塾が残っており、古い建物が数軒見られます」と丁寧に説明してくれる。
「お詳しいですね」と礼を言うと「15才からこの辺りで丁稚していたから…」。
丁稚、懐かしい言葉だ…。浪速の情緒を言葉からも感じられ、先を急ぐ。
あったあった、立派な建物である(全体と正門を写真に撮る)。江戸時代銅座だった跡地に
建てられた幼稚園である。木造園舎としては日本最古、「大阪市立愛珠(アイシュウ)幼稚園」。
1901年竣工、大戦時には空襲疎開建物に指定されたが、作業が遅れ終戦を迎えた奇跡の
建物だ。
今では国の重要文化財である。何かを持っている場所なのか。
その隣には蘭学者で医師であった緒方洪庵が開いた「適塾」がある。
木造2階建ての建物が健在だ。
大阪大学医学部及び慶応義塾大学の源流の一つとされ、門下生に大村益次郎、福沢諭吉、本野盛亨(読売新聞創業者)等、立派な人物を輩出。
梯子の様な急な階段を上がると、塾生の50畳程の居間、中央の柱には刀傷、
血気盛んな若者集団だったのだろう。
きっと、隣にある幼稚園からも元気な若人が巣立つことだろう。
難波から梅田に向かう
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